Forever 25 … 永遠の25歳

昨日、途中まで書いたフォーエバー25の私の恩師。黒宮先生。

工作教室には小学校を卒業するまで通い続けた。
念願だった妹が2人も増えて、一番身近な生活環境もどんどん変わった。日本の幼稚園から、NIS(Nagoya International School)に通うようになって、それからまた日本の小学校に転入するまで。学校という子供にとって一番多くの時間を過ごす社会生活の場はカルチャーショックの連続だったけど、この教室にいる時だけは自然体の自分でいられる時間だった。

その間、先生は何かとても大きな賞をいただいたりしていた。
(まだ子供だったから忘れちゃったな。でもなんか凄い盛大なお祝いパーティーが開かれた記憶はある。明日お母さんに電話して聞いてみよ。分かったらまた書きます。)

私が東京の大学に通うようになった頃、先生は教室をやめて名古屋から引っ越されました。ある夏の日、初めて一人で先生の新しいご自宅に伺わせて頂きました。

いろんな話をしていた時、ふと気になって
「そういえば、先生はいつも25歳だとおっしゃっていたけど、あれはどうしてだったんですか?」
と、質問してみた。すると予想だにしなかったことを話してくださいました。

先生が日中友好切り紙展にとても力を注いでいらっしゃった事は展覧会に何度か参加させていただいたので子どもながらも深く記憶に残っていました。切り紙作品を作るだけでなく、影絵や紙芝居、数学をもとにした紙で作ったボードゲームやパズルなども創作されて、常に熱心に様々なことを勉強されていたことも知っていました。その理由は、戦時中から戦後に先生が体験された事が始まりだったのです。

今回先生を訪ねた時もいくつか中国語を話してくださって、その日本語にはない音階のような言葉の響きについても語って下さった黒宮先生。世界中が戦火にあった時代、大連で青春時代を過ごされたことは先生の作品である「モクレンの木」を以前紹介してくださった時に聞いた事がありました。現地で先生は数学の先生をされていたのです。戦争当時の状況は様々な本や映画で紹介されているように想像を越えた恐怖と混乱が渦巻く恐ろしいもの。大連という場所で生活していた日本人は中国語は勿論のこと、ロシア語も理解出来ないと生き残れないような恐怖と隣り合わせの毎日。恐れと苦しみに耐える日々の中、先生はぼんやりとこう思われたそうです。

「もしも25歳まで生きていられたら、その後の人生は与えてもらえた時間だと思って自分の本当にやりたいと思う事をしよう。」

終戦と共に日本に帰国され、戦後の何もない日本での生活の中、大人たちは懸命に生きることに力を注いだ。そんな状況下でも子ども達は笑う事ができたそうで、その笑顔が大人たちにどれほどの活力となっていたかは、戦争を知らない私にとって先生の言葉から想像することしかできません。食べる事、生きる事に皆が必死な生活。今日のようにゲームやおもちゃなどは勿論ありません。ある日、そんな子どもたちの笑顔が見たいとの思いで、紙を使って影絵をつくったらとても喜んでくれたそうで、作り続けているうちに当時始まったばかりのNHKの番組からオファーがあり影絵作品を提供することに。以来、影絵だけではなく紙芝居やおもちゃなど「紙とハサミ」という身近なもので最高の笑顔を生み出す先生の創作の日々が始まったそうです。

「だから私の人生は25歳なんですよ」
と、その日先生は笑顔であと数年で25歳になろうとしていた私におっしゃいました。

その時まで、いつの時代に生まれる事が幸せなのかなんて事は考えた事がありませんでした。日本のバブル期を知る年上の世代の方々に「君たちは一番いい時の日本を知らなくてかわいそうだ」と言われる事は何度もありますが、それを羨ましいと思った事もありません。私は今を生きていられる事が幸せです。今、こうして自分のやりたかった事をワガママにも続けさせてもらえて、その上応援までしてくれる方々がいることだけで幸せすぎるくらい幸せです。『本当に大切な事』を教えてくれる人たちに出会える事が何よりも嬉しいし、私もその大切な事を伝えられる人になる事が何よりの目標です。表現の手段、方法はきっと身近なものなんだと今、改めて思います。

 先生が紙とハサミを持って、生み出した笑顔の数々のように。無形から生み出される一瞬の、でも最高の笑顔。レコードを遺すことは分かりやすい目安になるけれど、カタチが残り、数字が残すものが全てではない事。

何もないところから創る人がアーティスト。

介護生活をされていた時も、入院中も、散歩中も、読書中も、自然体で頭の中で創作が始まっている先生は真の心優しきアーティスト。あの穏やかな笑顔の奥にある先生の頑固な一面も私は大好きです。

先週伺わせていただいた時、妹の節子さんが今週ある学校で教えられる予定の作品を見せて下さいました。色、ライン、シンプルなデザインにセンスが光ります。2時間弱という時間で一緒に一緒に作れる作品を考えるのは、簡単ではないとおっしゃいながら目の前で紙をチョキチョキ切り始めました。「下書きもいらないのよ」、と。3枚切ったら重ねるだけ。確かに簡単そうだ!  磨き抜かれた「簡単」に感嘆!!

●リンク:雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、代表作『ごん狐』『デンデンムシノカナシミ』で知られる新美南吉の世界というサイトで黒宮節子さんの作品がオンラインでも見られます。もしかしたら、小学校で「道徳」の授業に使われていた教科書の中にこんな作風の挿絵を見た事がある人もいるんじゃないかな?(私くらいの世代だったら…???)。
http://www.fox-gon.com/douwa/index.html

Forever 25 … 永遠の25歳」への2件のフィードバック

  1. 25歳がターニングポイント、と聞いて『TIME/タイム』って映画を連想してしまった。この映画は25歳で成長が止まって、それ以降は自分の寿命を通貨として切り売りしていくという話だったけど、結局どんな時代にあっても自分なりの幸せを感じるのは、自分次第なんだろうな~。

    オイラも何かを作ったりするのが好きな人だけど、自分なりに楽しんで作ることができて、さらにそれを誰かが気に入ってくれたら凄く嬉しいし、またやろう!っていう気持ちになる 😀 お金を稼いだりすることも、ある程度は必要だけど物質的な豊かさより、精神的な豊かさの方をオイラは大事にしたいな 😉

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    • その映画、宣伝だけしか見た事がなかったけど…あらすじを聞いたらなんだか観てみたくなった!! 面白そうね! 😀 バランスって難しいけど、本当に大事な事は常に忘れないようにしたいょね☆

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