ROCKでぶち破る過剰な NOSTALIGIA

今日は色々な偶然が重なって自分の中で長年もやもやしていた事のヒトツに対して言葉が1つ見つかった。
「ノスタルジー」だ。

ポルトガルに1ヶ月ほど滞在した時に、現地の若者が話していた。
「お金や、時間、生活に少しでも余裕がある人は、最近は国外に働きに出る人が多いよ。僕の親戚だってそういう人が多い。」
SAUDADE(サウダーデ)という言葉に聞き覚えがある人も多いと思う。これは大航海時代のポルトガルで、長い航海に出る冒険家や野心家たちが祖国を出発する時にいつ帰れるのか、或は、帰って来れるのかわからない未知の海に出て行く時に生まれ育った国に対して抱いた想い。また、そんな彼らを祖国で見送り、無事を願う家族や友人、恋人たちが抱いた想いを表現する言葉だと一説では言われている。憂いと愛、夕焼けが染める海岸を思わずイメージしてしまうのは私だけではないだろう。その言葉が
「今ではこの国の足枷になっているとも言えるのかもね。」
と、ある時友人が車の中でポソっと打ち明けてくれた。何故?世界中に広まったその国独特の言葉が足枷になっているなんて言うのだろう?ずっと引っかかっていた。大航海時代も終わり、時の流れの中で、SAUDADEという言葉はもしかしたら華やかな過去に対するノスタルジーへと変わっていったからなのかもしれない。

今日、ひょんな事から何となく気になって録画していたTV番組を見た。自称ノンポリのオタクであるという宇野常寛さんの密着取材をとりまとめた番組だった。
私は学生の頃、大学の講義の1つで文化人類学のクラスを受けていて、評論家の先生がいらして講義をされた事があった。それまで評論家はなんとなくキライだった。評論家の生活、その人の言葉と命をかけて言葉で戦う姿勢を知って「金儲けのためだけに、あれは良い、これは悪いと言っている人ばかりじゃないんだ」と思えるようになった。だから、評論家の密着取材に興味が沸いた。そして、このノスタルジーという言葉を宇野さんから聞いた。

話が変わるけど、恋だの愛だのそういった歌詞は別に嫌いじゃないけど私は昔から苦手。たぶん常にマイノリティー側で生きてきたせいだと思っていたが、安易に共感されやすいテーマを歌っているような風潮に見受けられたから…ただ、その事が腹立たしくて仕方がなかった。日本の小学校に入って一番最初に受けた大きなカルチャーショックは多数決で何でも決めるクラスの文化。それが資本主義なのか?って、7歳なりに資本主義を考え始めた。

幸運にも何人か恩師と呼べる先生に出会えた学生時代の自分は、学校の先生になる事を真剣に考えた事もあった。大学で教諭課程を受けるか悩んだ時に自分が出した結論に今も後悔はない。日本の将来を変え得る人材育成の現場に立てる先生になりたい。でも、先生同士のいじめや派閥といった子ども社会と大差ないような争いを目の当たりにした事が大きな理由で、体制の中でジレンマに苛まれるのは避けたいと思うようになる。その結果、ただ振りかざすだけの免許や資格なら必要ないと思いやめた。20歳前後はとにかく社会に対して刺々しい思いしかなかった。現実と向き合う事を拒み「次の世代に任せよう」と言うばかりで大人が夢を見ている隣で、素直に現実を直視する子どもはうかつに夢を語れない世界。そんな風に社会を見ていたように今は思う。…その理由にも今日、答えが見つかった。

最近自分が書く詩に共通しているテーマがあった事には、実は薄々気づいてた。
簡単に言えば、ワクワクしてください。ワクワクさせてください。

自分よりもずっと年上の白髪がちらほら生え始める世代の友人や先輩方からよく聞く言葉がある。
「君たちは僕らのように日本が全盛期だった頃を知らないから本当にかわいそうだ。」
何度も聞くうちに、逆にバブル景気を生きた彼らがかわいそうに思えてきた。似たような事を聞く度に、
「今の世の中で、彼らはそういう風にこの時代を見ている人が本当に多いんだなぁ〜」
と、思う。私たち、べつに「かわいそう」じゃないけど?

無くしたモノの数を数えると共感が得られるというけれど、体がふやけて立てなくなる前にノスタルジーに浸かるのはもうおしまいにしないか。団塊の世代が定年を迎えようとしている今、若い世代は圧倒的に人数が少ない。そして相変わらず多数決が強い世の中。いつの時代もマジョリティーにマイノリティーは圧されがち。でも、ワクワクできない世の中ってつまらなくないですか?この国を覆うノスタルジーを払拭するには、私たちマイノリティーの世代が、失われた20年と呼ばれた世代が、ワクワクし続け後の世代にも伝波させていくしかない。「マジョリティー世代に「未来の「ワクワク」を僕らにかけてください」と言い続けるしかない。」という宇野さんの言葉に深い共感を覚えた。

Rockがどうして好きかって? 一次のPUNKブームの時みたいなイメージ(アウトロー/喧嘩腰/破壊的/破滅的… )じゃないよ。新しいものを生み出すためには、壁をぶち破るエネルギーが必要なんだ。融合の放射するパワーってどんなか感じた事ある? 怖がってちゃなにも始まらんし。ダラダラと「なんか嫌だな〜」が続くだけって、そんなの私は大嫌い。一生続く後悔は「やらなかった後悔」。試せばわかる。いっぱい悩んで考えてやってみて、それで失敗したら得るものがたくさんあるはず。「くそまじめがバカを見る」って?高見見物しているだけじゃ、本当の面白さや眠れなくなるほどの興奮や感動は一生味わえない。1度きりの人生でもうどうして良いのかわかんないくらい感動してみたくない? ワクワクしたくない? マイノリティーはいつだって荒波の中。一番ダサイのは中途半端。どーせバカやるんなら、徹底的にバカじゃなきゃ! それが、私にとってのROCKだと、今日ふと思った。

ROCKでぶち破る過剰な NOSTALIGIA」への1件のフィードバック

  1. It’s a wonderful realization that music has a social influence, that it can transfer raw energy as well as complex ideas! I think that most people occasionally need an external boost. Even if someone disagrees with what is going on around him/her, it still strengthens that person by helping him reaffirm his own belief system (whether in agreement or opposition to whatever attitudes surround him). But as one of those older, gray-haired people, please let me explain that nostalgia is also important. While the youthful exuberance you describe might be compared to the sun in both importance and energy, nostalgia is the soil in which we are rooted. Far less glamorous than the sun, but as important. My own family is a good example–we are several generations removed from Ireland, but remain Irish in our cultural values and traditions. . .Raise your arms and bask in the sunlight, but wriggle your toes in the warm, moist soil!

    *(Hope I didn’t translate your post incorrectly and go off on some ridiculous rant. . .)

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